まるっと恋に落ちたから

今さら止められるわけないじゃん!!

喜びも悲しみもやがて花となるでしょう



2度目の受験が終わりました。
結果はまぁ成功っちゃ成功。失敗っちゃ失敗。
キャンパス違えど行きたい大学には合格した。
とりあえず大学生です。

この1年間で得たものとか経験した事忘れないためにここに書き留めておきます。


浪人が決まって予備校を決める時、私は大手ではなく文系専門の小規模予備校を選んだ。
これが良かったのか悪かったのかは今でもわからないけど少なからずこのお陰である種の病気になってしまったことは間違いない。



その塾は朝から夜まで塾出ちゃいけない缶詰め状態の塾なんだけどなんとこれが私以外の高卒の女の子が1人しかいない。
残念なことにこの子とは仲良くなれなかった。というよりノリが合わなかった。上部では仲良くお互いしてたけど。
実質一人ぼっちで塾と家を往復する毎日だった。気づかないうちにストレスは溜まっていた。


そして夏、ついにストレスは私の胃に襲いかかった。お医者さんには胃潰瘍の手前だねなんて言われた。ご飯か美味しくなくて毎日食べた後の吐き気に襲われたりお腹が痛くなったりした。9月を過ぎたあたりから胃の件は回復してきてたんだけど次は精神をやられてしまった。


最初は何をするにも落ち着かなくて勉強が一切手につかなくなってずっと家の中を歩き回ってた。これはうつ病でいうそう状態(?)で波でいう上の部分らしい。この頃から塾にも行けなくなった。日本史だけは授業だけ受けに行ってた。今思うと無理してでも日本史受けに行ってよかった。
落ち着かなくて落ち着かなくて夜もあんまり眠れなくてついには私は精神科を受診した。

まさか自分が精神科を受診するとは思ってなかった。そこでお医者さんに安定剤なるものを処方された。
そこからの私は落ち着きは取り戻したものの次はうつ状態の波がやってきた。うつ状態の記憶ってあんまり残らないらしいんだけどほんとにそうで、あんまり記憶にないんだ。とにかく毎日泣いて明日が来るのが嫌で消えたくて本当に辛かった事は覚えてる。お母さんが焼肉と図書館戦争に連れ出してくれたものの人混みがしんどくてすぐに帰ったことは覚えてる。あと大阪にも連れ出してくれたらしいんだけどそれは実は本当に断片的にしか覚えてない。この時期も勉強は一切できていない。


うつの波はだんだん和らいできて11月半ばだったかに駿台に行きまくった。ちなみに生徒ではない。勉強しに行くというより友達に会いたくて行ってた。この頃からちょっとずつ勉強できるようになり、新しい塾にも入った。


ここからセンターまではなんとか勉強した。といっても沢山飲んでる薬の副作用で毎日眠くてまともにできてたかは微妙。


そんでセンターおわって私立一般試験。
ここでまたうつ状態の波がやってきた。
正直なった人にしか分からないと思うけど本当に辛いんだ。正直滑り止め含め全部落ちたなと思った。何も頭に入ってこなかったから。
試験が同じ友達に会うときもあった虚勢を張っていたと思う。みんなにひどい姿は見せられない気持ちでいっぱいだった。


試験の結果滑り止めは合格
関西で行きたかった大学は学部は違えど合格しました。第一志望は落ちちゃった。
正直9月までしかまともに勉強できず、あの状態で受かったのは奇跡だと思ってる。神様ありがとう。



支えてくれた両親、心配してLINEくれた友達、毎週一緒に帰ってくれた友達、電話に付き合ってくれた友達、応援してくれてた友達、みんなみんなありがとう。本当にありがとう。

ある友達に
身体が疲れてる時より1番休まなあかんのは心が疲れてる時やでって言われて本当に救われたありがとう。


浪人生活で得た物は両親への感謝とこれからも大事にしていきたい友人に改めて気づいたことです。浪人してよかったとは声を大にしては言えないけれどいろんな経験ができたかな。
浪人してなかったら出会えてなかった友人に出会えたのも事実やし。


とりあえず、
大学生活楽しみます!!!

喜びも悲しみもやがて花となるでしょう



おわり♡